xpmd’s blog

ダラダラと思ったことを書いています。

映画 「バーニング 劇場版」

とりあえずブログを書こうと思った。

ただし、何を書けばいいのかも、何を書きたいのかもわからない。

だからたまたま見た映画について少し書いてみようと思う。


「バーニング 劇場版」2019年、韓国。

ネタバレするので、これから観るという方はこのブログを見ない方がよろしいかと思われます。



カンヌ国際映画祭で評価される映画というのは、どうも難しい。ドーン、バーンと場面が次々変わるわけでもなく、楽しい音楽が流れるわけでもない。
はっきりしない主人公の気持ちを自分なりに解釈して映画に臨んでいかなければならない(そして、ときより咀嚼できない)。

よくあるフランス映画よりは、このバーニングは最後に「行動」があるので少し安心した。
ジョンス(主人公)が誰も居なくなったヘミ(女の子)の家でパソコンをカタカタしている場面で終わっていたら、私はモヤモヤして頭をむしっていたと思う。

ただ、そのジョンスの「行動」もそれでいいのか?とつい思ってしまう。
ボイラ~と呼んでたまたま寄ってきた猫、ベン(金持ち男)の家の引き出しにあったピンクの時計、燃やしたはずなのに燃やした跡がないビニールハウス。
短絡的に繋げればベンがヘミを殺したと考えてしまうことができるが、確証はない。
ピンクの時計なんて、どのキャンペーンガールのものかわからないし。

ジョンスも言っていたように、あらゆるものが「謎」であるが、映画の視聴者の気持ちを少し落ち着ける為にあの「行動」があったような感じがする。


私がこの映画を見ようと思った理由の一つが、原作が村上春樹だったことだ。
私は彼の小説は好きではない。そして残念なことにその原作、「納屋を焼く」を読んでいない。
ただし彼の作品はいくつか読んでいるので、その傾向はややわかる。

そう、謎にふらっと寄ってきてふらっと去っていく女性。
そして女性から誘う。
男声側はそこまでやる気はなかったけど、結局行為に至る(珍しくゴムのシーンがあって良かった)。
自慰。
主人公のぼやっとした感じ。
いかにも、と思った。


疲れてきたので終わり。

井戸は、ねじまき鳥クロニクルに出てきたような出てきていないような。
私はそれの一冊目で性的表現を不快に感じ、読むのをやめてしまった。